技術は善でも悪でもなく、中立でもない(メルビン・クランツバーグ)

最近、読んだ文献にあった気になった言葉です。

Human-Centric Digital Identity: for Government Officials

これは、Open ID Foundationがまとめた、政府職員向けのDigital Identityに関するWhite Paperにでくる文言です。

その資料の、本文の先頭部(P3)に、メルビン・クランツバーグという人の
「Technology is neither good nor bad; nor is it neutral.」
「技術は善でも悪でもなく、また、中立でもない」という言葉が引用されています。

この文書を見るまで、私はメルビン・クランツバーグ(Melvin Kranzberg)という人を知らなかったのですが、米国の、技術史を専門とした、著名な歴史家なんですね。引用された文は、彼が提唱した「技術の法則」の第一法則とのことです。
#「発明は必要の母」という言葉も彼の言葉(第二法則)なんですね。一般に言われる「必要は発明の母」とは順番が違い意味が全然違います。こちらは「発明は(あらたな)必要性を生み出す」という意味だと思います。

私の関心は社会や地域の様々な活動のデジタル化なんですが、デジタル化は必ずしも良いことばかりではないということを忘れがち(隠しがち)です。
デジタル化によってよくなることもあれば、その結果、様々なリスクや副作用が生じて、なかにはそれを悪用する人や組織も現れ、深刻な被害をもたらす事もあります。

歴史をさかのぼれば「鉄性武器」もそうですし「車」もそうです。「スマートフォン」や「インターネット」もそうですね。

山形の田舎に住んでいると、80歳、90歳の高齢者が車を日常的に使っています。
それがないと生活できないからというのが理由ですが、その結果痛ましい事故のニュースも絶えません。

マイナンバーに代表されるデジタル化も、その必要性は頭のなかではわかりますが、その導入によってもたらされる弊害というのは、どんなに頑張ってもゼロにすることはできません。
そして、その弊害によって、声の大きい一部の人たちやメディアによるマイナンバーカードの害悪論が拡散するわけです。
現状想定される便益は、多くの国民にとっては必要性や実感がないものが多いので、否定的な論調のほうがが説得力を持つように思います。

これに対して、推進派は、社会の持続可能性の確保と米中欧などとの競争戦略を論拠として必要性と便益を叫び、一方で、多くの国民には理解できない形で、様々な安全管理措置をとっているから大丈夫と主張します。

ところが、こうした安全管理措置は、かならずしも鉄壁ではなく、往々にして人的・組織的な脆弱性や技術の進歩により崩壊し、否定論者の声をさらに増幅させます。

一方で、インドのAadhaar(日本のマイナンバーカードに対応するもの)もそうですが、重大なセキュリティインシデント(漏洩事故)を何度も起こしながら、それでも、それがなければ生活ができないという理由で、社会インフラとして国民に支持されているものもあります。
これは、私の住む山形の田舎で、高齢者が80、90になっても車に乗り続ける状況を想起させます。

日本とインドの差は何によるものでしょう。

私は、社会のデジタル化は社会の持続性確保のために必要だと考えていますが、デジタル化のリスクは認識しつつも、それがないと「生活ができない」と思えるようなキラーアプリケーションがないのが現状です。
例えば、マイナンバー(カード)でできることは、すでに様々な手段でできていることが大半で、「マイナンバーカードでもできる」といっても、全然説得力がないように思います。

話は変わって、半年前にUターンした山形では、ほぼすべての自治体で病院統合、学校統合の話がでています。
私が住んでいる河北町でも同様です。医療以外にも、地元高校の志願者減少による縮小問題、地域小学校の統廃合問題など、深刻な人口減少を背景に様々な話があります。

半年前まで私が住んでいた川崎市や東京近郊など大都市圏あたりはではあまり実感がないと思いますが、山形のような田舎では、現実的に病院や診療所へのアクセスが困難になる未来が、すぐそこにあるようです。
#車があればたかが10~15分遠くなる程度なのですが、車がのれなくなった高齢者には深刻な問題です。

私は、これに対する解決策は、PHR(Personal Heathcare Record)を活用した、地域ステーションにおける「かかりつけ看護師」常駐型の遠隔医療はないかと考えています。(あくまで、ひとつの仮説ですが)

現在、国の検討会では、災害時や事故のような緊急医療などに活用する患者の情報をまとめた「患者サマリ」のマイナポータルへの実装が議論されているようですが、患者サマリは、欧州では、国境を越えた医療(クロスボーダー)医療の実現を目的に、大分前から患者サマリの作成と国を超えた共有が実現できているようです。一方、欧米のような「GP: General Practitioner(日本の「かかりつけ医」のようなもの)」制度のない日本では、この情報を誰が入力するかが大きな問題のようです。(正確には、日本で議論されている「かかりつけ医」と欧米のGPは異なると医療系の専門家には指摘されるのですが)

日本でも「かかりつけ医」の活用を推進する動きがありますが、「フリーアクセス」を基本とした日本の医療制度ではなかなか普及が難しいようです。(私的には、地域病院が統合になくなった地域では、複数のかかりつけ専門(総合医)によるグループ型総合診療所が設立・普及してほしいと思っていますが。)

統廃合された小学校施設などを利用した地域ステーションで、教育・訓練を受けた「かかりつけ看護師」が、遠隔の医師の指示や指導に基づき、患者サマリを入力・メインテナンスし、遠隔診断技術により、統合された地域の中核病院等にいる専門医と患者をつなぐ、というものです。

こうした話は、田舎のほうが、より切実であり、実感があります。

昔「ユビキタスコンピュータ」という言葉が流行りましたが、その類似語として「インビジブルコンピューティング」という言葉も登場しました。

私は、マイナンバーは、将来、インビジブルで、ユビキタスになると思っています。もちろん、その時には、マイナンバーを直接露呈しないような、仮名化IDなどの、プライバシー保護技術や仕組みが必要です。

マイナンバーの仕組も、今のカード媒体に依存したものから、EUのDigital ID Walletの試行錯誤や民間のpasskeyなどの普及を見ながら、より現実的な、ユーザビリティと安全性を両立したものに変わっていくと思います。

もちろん、これからも事故も起こるでしょうしょし、様々な弊害や犯罪も生まれるでしょう。(特に、国がこうした技術を恣意的に使うようになると致命的な影響がでるので、しっかりと国民が監視する仕組みが必要です。)

そうしたリスクに対し、車と同様に、様々な安全管理策やプライバシー保護技術、損害時の補償や復旧の仕組が生まれると思われます。(発明は必要の母)

そして、なぜ、それをデジタル化するのかという疑問を、
        「必要だから、それがないと生活できないから」
という単純な理由で語れる日もくるのだろうと思います。(2023/11/16)